· 

熊楠と社叢


本日のお供。Sen Morimoto(森本仙)。
運転中にモコモコとした音で流れると改めて聴きやすい。


なんという活動しやすい気候でしょう(感動)。
セミもいささかいつもより元気。数えてみたらアブラゼミ6匹、ニイニイゼミ2匹がとまっていました。ちょっとうるさいな・・。


お昼、資材を積み込みに事務所へ行くと、キツネノカミソリの花が咲いていました。
8月の里山らしい景色です。あちこち咲き始めているでしょうか。


そのまんま、毎年初詣に行っている姉崎神社へ。駐車場が拡張されてアスファルト舗装になり、見方によっては便利になって車も汚れず喜ばれる。私視点では悲しく怒りを覚える光景でした。最悪です。後ほど触れます。


ベンチなんかも拵えられた社叢の中の野道を歩く。シイやカシが優占するする極相の森。社周りはクスが多い。


ぐいっと高度を下げる台地突端には湧水点二つ。一つは水汲み場となっています。水がどんな風に動いてここに出てきたか想像できますか?


境内には古墳が3基あり、それぞれ御嶽三山塚や浅間塚などに転用されています。

 

さて、問題の駐車場。以前からこの場が肝というか環境を維持するための最後の砦と個人的に感じていた場所でした。

山のない千葉でも今では誰も立ち入らないような深〜いところを歩けばわかる。なぜ太古の人々が山の上を祀り、立ち入りすら禁じたのか。時間が経てば人間も変わり信仰も変わる。それらの場所は後に神社やお寺となり、最近では参詣や管理が面倒だからという理由で社や御堂が山から麓に下されたりもしてる。違うそうじゃない。社や御堂はただの飾りで、言ってみれば神様も飾り。なぜそこを畏れるようにしたのか、誰が手を入れるのか、今一度よく考えるべきだと思う。昨今は山を真っ平らにして固めてしまったり、数千年と家を建ててこなかった谷地の底に住宅地を作ったりしてる、先人はできなかったからやらなかったんじゃない、それをやったら滅ぶということを本質的に理解していた。山崩れとか水害とか短期的な生やさしいものじゃなくて、もっと長くて苦しい大きな災いを起こすから。個人的に山は誰のものでもなくみんなのものでもあると思っています。私は形だけの信仰に全く興味の無い人間だけど、今ある各所の神社やお寺の役割は立地的にとても大切ゆえ、本当の意味での理(ことわり)詰めで善処してほしいと願う。


さて、ちょっと気持ちがあっちに行きかけましたが戻して庭工事再開。
より丁寧な作業を心がける。


木々が寄り添いあって、より心地よい環境になってきました。
葉っぱがゆらりと揺れる様子は見えなくても見てなくても心地よいものです。


割と暗くなるまで、できる限りのところまで作業。
明日は建物の完成見学会となり、仕上げはその後におこないます。


先日、先生が海で拾ってきたガザミはテッカテカの標本になりました。先生曰くジオラマみたいなの作りたいそうです頑張れ〜。ちなみに下に映るクワガタは先生が以前飼っていたW太郎(どちらも名前が太郎)。ノコギリクワガタは冬越して翌夏まで生きていた長寿さんでした。


本日完売となったカセットの一つ、kumagusuの処夏神経。

 

マスロック/ポストロックの流行から10年以上経ち、都内のロックバンドたちのアンサンブルはそれらの影響を自明としたよりドライでタイトなテイストが主流となっている。さて、その都内で10年以上の活動を「平熱」で続けるオルタナティヴロックバンドkumagusu。バンド名の由来はもちろん粘菌研究で有名な南方熊楠で、ヴォーカルの井上Yはゴヰチカのインストアライブにもソロ出演済み。

ライブにおいても彼らの几帳面で正確な演奏ぶりとヴォーカルの巧さは際立っているが、唐突に飛び出す「俺は精進する」だとか「深夜徘徊楽しい」とかいう歌詞がキザにならないとぼけた脱力感を示している。新たにサックスプレイヤーが加わったことがバンド・ポテンシャルを高めていることは明らかで、ギターソロにも切迫感が加わり、ライブを見たことのない層に対してこの上ない招待状となるだろう。

上のレビューにもあるように、ゴヰチカでのライブにも出演してくれた井上Y氏、お元気でしょうか。その時の模様を収めたカセットにて、ダイジェストでちょっとだけ聴けます↓


一夏の思ひ出。面会 vol.2は明後日、お待ちしています。