· 

ブチ子さんが二人


朝から大パニック。ブチ子さんが二人いる・・(写真拡大します)


ほらほら。今までどっちがどっちだかわかっていないままブチ子さんブチ子さんと喚いていたかもしれない。


そんなこんなで門松作りの続き。ちなみに、昨日はクリスマスイブで、無事先生の元にはサンタがやってきた模様。


門松おさまりました。立野のお爺さん仕様。梅の代わりにクロモジ。差し色はあえて無いので、ここはサトモノ屋店主の掘さんに飾ってもらう。カラスウリとか巻きつけてはどうですか??


美味しいクロモジ茶。サトモノ屋は年明けて6日からオープンするみたいです。門松は8日まで飾っておく予定です。皆様ぜひ。


サトモノ屋

https://www.instagram.com/satomonoya


サトモノ屋のある養老渓谷駅前。せせらぎのフォントつよい。おばあちゃんが落ち葉をかいて燃してる景色がめちゃよかった。これが本来の里山の姿である。ゴミという概念自体が一つもない。

さて、場所を移動して月崎〜久留里間の山の中。問答無用で上のレフさんのレポートをご覧あれ。ちなみにTKD-P(タケダプロ)とはわたくすのことです笑。


デデーン、蘇った馬乗り馬頭観音。以前、ここを歩いた時にはまさかこのような姿だとは思いもしなかった。たった一枚の写真からこれは!と気づくのは凄すぎる。


ちなみに、当初歩いた時もこの道が久留里街道東往還だとは自分も知らず。川谷集落から山道入り口はちょうど民家の庭先になってしまうのだけど、声をかけてみたら色々と興味深いお話を聞くことができました。


民家の入り口に六地蔵石幢があり、ここが旧道であることがよくわかる。


同じく旧道沿いの川谷熊野神社。馬頭観音たちと神社から見る現代の新道。

またまた場所を移動して、里見高滝あたり。以前真っ暗な中歩いた際、浅間山っぽい山を通過したので明るい時間に確かめにきました。


前回は暗くて全く気づかなかった馬頭観音たち。ちょうど谷と山を分ける道の分岐にあります。


山頂手前に半ば埋もれていた庚申塔を起こしておきました。


地形図の標高123地点。明治十八年(1885年)とある浅間神社碑がポツンと建っています。現在あたりは本郷と呼ばれていますが、かつては養老村だったので養老浅間山と仮に呼びます。


この先はゴルフ場のため通過できないであろう山道。会員制の別荘地なんかも隣に作られ、まじで愚かだと思う。帰り際に畑で作業していたお爺さんに声をかけてみると、昔は山頂で花見をしてお団子を食べたという話を聞くことができました。今は忘却の山といった風情。


のんびりした景色の里見駅を通過しながらつり広場駐車場に戻ります。


人伝に手入れの依頼をいただいたお庭を下見しつつ、見えるは素敵な四文字熟語の鶴舞丘陵。大正時代の山案内本(日本山岳案内)を読むと、かつては今でいうハイキングの対象だったことがわかる。


事務所に戻って明日の仕事の準備をして、今夜は楽しいクリスマス🎄終。