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青葉台の庭完成


昨日に続いて市原市の庭工事続きへ。足りなかった芝の目土をまき終わり無事完成となりました。毎度のことですが、木は一本もまっすぐと立っていないことを留意ください。


元々外周に積まれていた石を階段として据えた動線が効いています。依頼をはいつもお世話になっている佐野工務店よりいただいた庭計画。施主様からは植える樹種の希望があったり、家と外をつなぐ空間としての庭が完成後も成長してくれそうで嬉しい。


日々ちょっとだけでも心を配っていただき、新しい生活と並走してくれると嬉しいです。ありがとうございました。

 

建築設計:伊礼智設計室 i-works 1.0

https://irei.exblog.jp

https://i-works-project.jp

 

建築施工:佐野工務店
https://sanokoumuten.co.jp


一旦事務所に戻って道具や資材の積み替え。施工中の庭でいくつか使うのですがそれでも半分以上はあまりそうです。使いたい方いますか??良い芝です。


印西市へ移動して作業の続きへ。どんより気味の天気となってきました。


お昼、あたりを散歩すると立派なサルスベリの生える塚に石像物群発見。庚申塔や出羽三山碑。下総國印旙郡白幡村。思えば下総(しもうさ)って難読ですよね。上総(かずさ)もそうですが。


この赤ペンキ?で塗り塗りされているのはなぜなんだろう・・。こちらは享保九年(1724年)とある庚申塔。青面金剛像。


幹線道路との交差路にも忘れられたような石像物が一基。風化して読みづらいけどこちらは道標のようです。


車がひっきりなしに通る道は古くからの街道らしく木下街道とあります。こちらも読みづらいですが木下と書いて「きおろし」と読みます。最初は自分も読めなかった。

 


なぜ読めかというと、この印西の山(?)を縦走したときに利用したJR成田線の駅が木下駅だったからです!それまで知りませんでした。


ちょっと歩いたらなんじゃこりゃな光景。ズラーっと庚申塔が並ぶ。しかも全て天保十年(1839年)のもの。天保の飢饉と何か関係があるんでしょうか。一際大きい一基だけ弘化四年(1847年)のもので、他より新しい。庚申塔以外にも出羽三山碑や二十三夜塔などもありました。単なる流行かな??


住宅地下に佇む谷津の斜面林と休耕田。


谷津の真ん中を流れる浦部川と耕作中の田んぼと遠くに見える街並み。


機械で収穫するためにこれから冬季まで水を抜く乾田。戦後に生まれた近代農法です。水がなくなりつつも、ミズワラビやキクモの陸生形が見られました。キクモの周りに見られるは今も昔も強健な水田雑草の一つであるコナギ。


明るく落ち着いた林床に見られたキツネノカミソリ、谷津の上流のワラビが茂る草地にてワレモコウ、住宅地脇の林に見られた中国からの渡来品であるリコリス・インカルナタ、別名タヌキノカミソリ。晩夏を彩る花の姿それぞれ。


午後からは庭工事再開。整地をしつつ、元々庭にできた一山を丸ごと移動の山づくり。結構な量の土を動かしました。続きはまた来週。


実家の武田屋商店にて、血塗れのバタリアンみたいな姿になっていて、お客さんに何かの事件に巻き込まれた or 巻き込んだと勘違いされたという母親の話を聞いて不謹慎ながら爆笑してしまった。それでこんな注意書きを作ったらしい。紙を貼っているのが昔流行った3D(焦点ずらして絵を浮かび上がらせるやつ)の下敷きなのもポイント高い。色々ツボりました。