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ド・キ・ド・キ☆縄文人


本日は敬老の日ということで、じじばばにケーキ買ったり墓参り行ったりでオフ。昨日歩いて気になった国分尼寺跡の草地を歩いてみました。ほらほらワレモコウ。牛頭天王社近くに数株が固まって生えています。


西門跡。がしかし、他にメドハギやヤマハギの花が見られるぐらいで特にめぼしいものはなし。ぐるっと歩いてみます。


草地に突入。草丈は腰ぐらいまでなのでガンガン進む。チラッと映る赤い花はヒガンバナです。


時折、暴風雨。

 

水辺が近くはないけどなぜか見られるヨシの花と道端などでもみるイタドリの花。イタドリは別名がすかっぽもしくはすかんぽ。かじると酸っぱいやつです。昔の子供の暇つぶしおやつ。某建築家のK澤さんは今でもかじってます。


クズに紛れてワレモコウのもう一集団がありました。万葉の世界と紐づけられる存在にホッとする。ただ、他にこの環境らしい野草の姿はなし。施設を立派にするなら、周りの環境もぜひ立派にしてほしい。そのほうが物語が作れるし関心を惹く。


足元にはこのキツネノマゴの花が見られるぐらい。敷地をぐるっと囲むコンクリートU字溝。経験上、これがかなり環境を悪化させる原因になる場面を何度も見てきたので、あまり機能していないようであれば外してみてはどうでしょうか?たった10cmとか20cmの高低差が塞がれているだけでまじで土は変わります。水は流すんではなくて、いかに浸透させるか、というか上下左右に動かすか(=地中の空気に同じ)、という視点で考えた方が良い。長期的に見れば、どんな防災対策よりも力を発揮してくれます。


雨の中、ガサゴソと草むらを歩く姿は、係員ぽい人にはかなり変な人に見えた模様。不審者っぽくてすみません・・。


敷地内にある神明神社および牛頭天王社にも立ち寄り。昨日の日記の写真からもわかるとおり、国分寺台という住宅地ができる前はほぼ山林と田んぼと畑だったところ。この古地図では祇園原(ぎおんばら)〜といった仰々しい地名が見える。旧根田村。


土が露出したところでは貝殻と土器片などが散らばっています。縄文時代の貝塚の一部でもあるので、頑張って探すと当時は食料として獲物だった動物の骨なんかも見られます。


ゴロゴロ転がる土器片を少し集めてみる。時代は不明。線刻の模様は意図的につけられたのでしょうか?たくさん転がっていますが、持ち帰るのはやめましょう。


道路渡って、市役所周りに整備された国分寺中央公園へ。祇園原貝塚の解説看板が新しくなっています(拡大します)。


落葉広葉樹が主の谷津の斜面林がそのまま残された公園の森。林床の明るいところではノハラアザミがたくさん花を咲かせています。


谷超えてアカマツ林。林床はとても明るい。ここではシラヤマギクがよく咲く。後ろに見えるのは市役所の旧庁舎。


他、ノコンギク(多分)やイヌトウバナの花、ノブドウの果実なんかが目につきました。


こちらでも貝殻や土器片があちこちにありますが、正面のものは多分何かの動物の骨。当時の人たちはどんな暮らしをしていたのか、できることなら見てみたいです。


ゴヰチカではこちらのレコードが完売となりました。セネガル🇸🇳⇄スウェーデン🇸🇪。「子どもたちへは楽器と芸術で教育しなければならない。楽器を教えることは精神を使うことを教えることと同じになる。」ってほんとそれ。説教くさいあれこれは不要。応用でなんとかなる。真の教育ですね。