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求む房州石


改めて袖ケ浦市の庭工事再開。本日より三日間青野君に手伝いに来てもらいますサンキュー。資材積み込みの事務所にて初対面のわがまま猫。いつもどおり。

車庫裏の砂利敷きに加えて全体的な芝張りの追加工事をいただいたので二人でコツコツ整地。耕運機が欲しい。竪穴からはだいぶ水がひきました。とはいえ海も近く、潮の満ち引きによっても変わると思うので、ちょっとやり方を変えてみます。

お昼、再び散歩。先日歩いた坂戸神社と連なる海岸段丘林で遠目に気になる所を目指す。線路沿いの薮っぽいところでは、サネカズラの実がたわわで、ナワシログミの花もたくさん咲く。海の近さを感じます。

かなり遅めのセンニンソウの花が咲く。まわりにはシロバナサクラタデの花ももりもり。

房総往還沿を通るたびに見える大きなタブやケヤキからなる小さな森突端。

森の中には小さなお社。大勒天宮とありました。境内には沢山の貝殻が散らばっているので、おそらく貝塚だと思われます。

また、傍には小さな墳丘があってこれは古墳だそうな。長見塚とあり(上奈良輪古墳とも呼ばれているそうな)。碑文も興味深い。浦境なんてものがあったのですね。おふごの森とありますが、おそらく御福王が訛ったんだと思われます。市原市の飯給とも深ーい縁のある福王(弘文天皇の皇子)は晩年をこのあたりで過ごしたそうな。辺りの奈良輪という地名も縁のある奈良からとられたのかもしれません。

例によって歴史的農業環境閲覧システムより比較地図引用。坂戸神社からこのおふごの森に至るまで続く海岸段丘。おふごの森から見たその浦境とやらを考察する。埋立前、遠浅の時代の東京湾。

台地へ登る古い野道がすこーしだけ残っていて、路傍には忘れられたようなお墓が二つほど埋もれていました。

道を登った先は福王台という名前の新しい住宅地。台地上を伝って帰路へ。

急坂。台地からはとても見晴らしが良い。が写真を撮るには民家の敷地に入らなければならず断念。


いったん降って道路横断して、再び登る道すがら。大量の房州石による大きい土留めを目撃。古材としてすんごく欲しい。むしろ買いますが。このあたりもまとまった斜面林が少しだけ残っています。


住宅地から再び降る薮気味の細い道。電灯柱が木製。昭和遺産だなぁ。

細い道を繋いで歩くと、ちらほら房州石を見かけました。千葉を代表する石材from鋸山あたり。現在は採石していないので、古材に出会うたびに集めてます。


現場に戻って作業再開🐭


一日中鋤簾を使ってえっちらおっちらほぼ耕運作業。予定していた荒整地までは終わり続きはまたあした。と、現場からスマホでぽちぽち日記書きました。追記するかも。


追記参考↓売津の石切場と鋸山。クリックすると軌跡見られます。

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